「すみません。出ます。」
場所は西船橋駅近くの漫画喫茶。深夜2時30分。
定員さんの心の声が聞こえる。勝手に疑心暗鬼になっているが、逆の立場なら間違いなくこう思う。
「まさか今から競馬並ぶの?コイツ馬鹿じゃん。クソ寒いし。今日は何月何日か分かってる?男1人で何してんだよ。」
そう言いたくなる気持ちもわかる。実際は言ってないが、言いたくて仕方ないだろう。
草木も眠る時間で有名な丑三つ時。しかも冬。
せっかく確保した席があるのに、今からわざわざ外に出ようとするなんて正常な人間の思考回路ではない。
「イブで終電まで飲んでしまい、帰れないから漫画喫茶で始発まで時間を潰そう」というノリの方が遥かに健全。
そんな時間を仕方なく過ごすためにもある場所なのに、今から出て行かれる気分はどうだろうか?
漫画喫茶におけるアイデンティティ崩壊の瞬間。
今日は12月25日。2016年有馬記念。別名「クリスマス」とも呼ばれる日でもある。
12月24日の夜も更け、聖なる夜も一段落。世間の皆様こんばんは。メリークリスマス。
私の有馬記念当日はこのような朝(夜?)を迎える。これで8年連続。甲子園なら立派な名門校の1つに数えられるだろう。
これより上の連続出場は和歌山中と福島聖光学院しかいない。智弁和歌山と並ぶ大記録だ。
2006年以降、唯一行かなかったのはダイワスカーレットの勝った年のみ。彼女とはつくづく縁がなかった。
また1年連続記録を伸ばそうと、今から夜の闇に向かうために着込んで出ていく私の横で、入れ替わるように入ってきた若者達。
「俺はこれから有馬に行くんだ、どうだ。」という気分。「どうだ」と言われてもねぇ。共感は求めていません。
西船橋駅前から約30分の道のり。
暗闇の中に独り、日本の物流を支えるトラックに抜かれながら、今年最後の戦いに向かう。
「自分探しの旅」とか言ってどこかに行く人がいるが、この道でも自分探しができる。
非日常を求めて東南アジアやら、アフリカやらに行く必要はない。非日常は至る所に転がっている。
少し生活の時間と場所をずらすだけでも、日常は簡単に非日常に変わる。境界なんて曖昧なものだ。
都心のど真ん中(ちなみに私の住まいは麻布十番です)にいる日常から離れ、車のエンジン音のみが聞こえる暗闇の世界。
否が応でも頭の中に浮かんでくる思いは、この現実を映し出すように暗く、寒く、深い闇。
「こんなことやってていいのか?この決断は正しいのか?この道の先に幸せが本当にあるのか?」
周囲を見ろ、カレンダーをもう一度見てみろよ。お前の目には見えないのか?クリスマスを含む3連休だ。
昨日は翌日朝が異常に早いという理由でクリスマスイブに予定も入れずに早々にあらゆる事を切り上げ、体力を温存してる場合かよ。
そこまでして向かうこの先に待ち構えている場所は、夢のような楽しい時間を過ごせる場所なのか?だとしても競馬場だぞ?
自分の中の天使と悪魔が今日はクリスマス仕様だからなのか、トナカイに乗りながらCウッドでのやや強めの併せ馬。
天使と悪魔の併せ馬はゴール板を過ぎても続いていく。天使の言葉がいちいち胸に突き刺さる。
本心はどちらも違うようで、どちらも本心のような。唯一と言える正解はないが、その答えを導きだすには私の頭の余白は狭すぎる。
自分を見つけだすのは如何に難しいことよ。
非日常に身を投げようが、瞑想しようが、自らを客観的に眺めていても「自分」なんぞ見つからない。決断したという事実が残るだけ。
この決断の正しさは自らで納得するか誰かに判断してもらうかしかない。が、会社経営でもするならともかく、「競馬に行くべきか否か」の判断はもう自分にしかできない。
競馬に行ってブログを書くことでインターネットの大海に電子の砂粒を投げ入れる事は出来るけど、身を削って行うには小さすぎる波しか起こせない現実。
ま、戸惑いこそが人生ですかね、レイリーさん。
30分歩いた位でホイホイ「自分の答え」が見つかるなら、カビゴンより見つけやすいことになってしまうので、それはそれでいいだろう。全く関係ないがカビゴンもラプラスもカイリューも持ってない。
毎年ここでの悩みが深くなっている気がする。当然ながらこの生活の引き際も考えなければならない。
松坂世代も徐々に引退しているし、そろそろ現実味を帯びてきている。松坂大輔投手が引退したら終わりかな。そう考えると、あと2年位かもしれない。精彩を欠いたピッチングを見ているけど、契約残ってるし、松坂大輔投手の復活に期待をする自分もいる。
頭の中で話題が左右へ斜行しつつも体は真っ直ぐに歩を進める。
他の人にフラフラとこんな話をしていたら審議の青ランプ点灯待ったなしだが、生憎お一人様。
悶々と悩みながらの30分の旅路の果てに、中山競馬場が見える。
ここまで来たら引き返せない。何より電車が動いてない。天使と悪魔も呆れ顔でトナカイから下馬して一休み。
中山競馬場に3時に到着した。今年は混んでない。パッとその判断ができる自分が嘆かわしくも誇らしい。
ここから観戦に向けて整えていく難しさは、培ったキャリアとアドレナリン、時間潰しのタブレットとホッカイロで乗り越えるしかない。
やや雲があり、放射冷却により冷え込む心配はないかなと思っていたが、寒いのは当然。頑張って耐え忍ぶ。
決して競馬の本質ではない、しかし日本競馬の一面。
15時25分までの12時間に及ぶ壮絶な場所取り合戦。サラブレッドの魅せる華やかな有馬記念の裏側で、人間の過酷な戦いの火蓋が切って落とされた。
それにしても、この競馬で深夜まで並ぶと言う行為は日本特有のものだと思う。
私は以前アメリカはブリーダーズカップの観戦にチャーチルダウンズ競馬場に行った。
その日は伝説のゼニヤッタ引退レース。いつも通りの感じで朝行ったら、人っ子一人居ないので、時間を確認し、一度ホテルに戻った。
確かにオール指定席だから無理に行かなくてもいいのは分かるが、それでも…と思う気持ちはないのか?とアメリカ人に聞けばよかった。
これは日本競馬の正の部分なのか負の部分なのかは私には答えがない。
良くも悪くも日本競馬の文化というか現象のような気もする一方で、初心者の排斥に繋がっているとも言えなくはない。
ただ、それ故に入場券も安く設定されているので、どっちもどっち。
初心者であっても場所取りには必勝法がある。
「早ければ勝者になれるチャンスがある」「目的を持ってそこへ一直線へ進め」「取ったら動くな」。
実にシンプルな法則。
こんな回り道寄り道だらけの人生だからこそ、シンプルさに惹かれるのかもしれない。
だとしたら惹かれる方向が間違っている気もするが仕方ない。もう来ちゃったんだし。
思い返せば私の有馬記念は大惨敗からのスタートだった。
遡るは2006年の有馬記念。ディープインパクト引退レース。
始発で意気揚々と船橋法典へ。ゲートが開くように電車の扉が開いてからは、中山競馬場までのマラソンレース。
1人速い人に遅れを取るものの、その人に次いで2着で列に並んだが、先頭集団は遥か彼方。まるで野戦病院さながらの光景に、「甘かった」と戦意喪失。
結局、観戦も大した位置で見ることができず、レースでは辛うじてディープインパクトが走ってたというのが見える程度。初有馬記念生観戦は馬券は取ったが、惨敗だった。
そこから観戦すること数知れず。
ゴール板に近過ぎて見えない、スタンドの上に行き過ぎて臨場感に欠ける、中山の指定席は快適だけどガラス邪魔…などの実験に次ぐ実験を糧に、ようやく自分の見るべき場所が定まり、以後その場所で観戦している。
場所取り1つでも様々な目的が見える。人って実に不思議だ。
必ずしも席を取りに行く人だけではない。色々な思惑があり、ニッチな業界で生きている人もいる。
パターン1:スタンドの席
もちろんこのタイプが圧倒的に多い。ただし、いい席を取りたければまさに1日捨てる覚悟でないと大きいG1だと無理。いい席を取りたければ、迷いなき心が必要となる。心身共にハード。
席もゆったり見たいためにゴールから離れる人も居て、場所によってはゆっくり来ても座れるが、ゴール前のいい位置を確保するのは至難の業。
パターン2:パドック
横断幕とかを張る人などは、真っ先に手続きしに行く。ここも多分こだわりがあるんだろう。
パターン3:カメラマン
ゴール前やウィナーズサークル、パドックなど、いい写真が撮れるかどうかで場所を取る人。パターン1と競合でもあるが、住処と視点が少し違う。
パターン4:指定席
指定席の中でも前の方とかを取りに行く人。スタンドの人に比べると競争相手が少ないが、一定数必ず居る。場所が分散しない分、ここは先行圧倒的に有利。
パターン5:モニター前のソファーや席
別に何処で見たって結果は変わらん。
賭けに来てるんだから、賭けやすく、結果が見やすい場所を取るのが正解だろ、的な発想。この割り切りもなかなかできるこっちゃない。
ちなみに、私はパターン1の亜種。
席は取りに行かないが、観戦には最もいい位置を取りに行くタイプ。
ずっと立って見てればいい。疲れても仕方ない。ライバルはパターン3のカメラマン。
列に並ぶと、1人で来ているカメラマンをチェックする。複数人で来ている人は、そういう場所は取らない。なんせ疲れるし。1人で来ていて、迷い込んでここでいいや!と取られるときが怖い。
中山競馬場は年に1回しかここまで本気で並ぶことはしないため、やや苦手としている。
私はウオッカさながらの府中専用機。
中山競馬場は5時30分に中に入れてくれる。中でご飯も食べられ、空いてて快適。恐らく、これから先含め、この時間が最も快適な時間だ。
毎年入場門の目の前にある階段で転ぶ人がいるためだろう。今年は階段下まで係りの方の先導があった。
中では各扉の前で列を作るため、列が分散される。しかし、並ぶべき扉を間違えると悲劇。
最初に外で並ぶ、中に入ってから目的の扉の前に並ぶのと2回場所を変えて並ばなければならないのも中山の難易度を高めている。中に入ってから迷うといくら早く来ても逆転される。
逆に言えば5時30分ぎりぎりでも一直線に目的の扉の前に行ければ、まとめて差し切れる。
入ってから食料(モスバーガー)を補充し、ほぼ今日の競馬場の食事は終了。
そんなこんなで待つこと約2時間。開門直前。
この時のなんとも言えない殺気立った雰囲気は独特だ。
皆明らかに興奮し、前に行きたくてどうしようもない様子。
競馬番組なら「かなり入れ込んじゃってます。もっと落ち着いたほうがいいですね」と言われるヒト多数。
明らかに引っかかってる状態で、なんとか折り合いつけようとする係りの皆さんのご苦労もよく伝わる。
ある程度の理性を持っていると思われ、これ自体に金が掛かる訳でもないヒトですらこの状態なのに、勝負中のウマに「折り合いつけろよ」とかよく言えたものだ。まずはお前から実践しろ、という気分。
周囲では皆口々に作戦を言い合い、誰に言われるでもなく、足首を回したり、アキレス腱を伸ばしたりしている。
そりゃそうだ。
時期は冬真っ只中。競馬場の開門と同時に走ったら馬ではなく人がパンクしました、と誰に言える?
そんなことをお正月に実家で話したら、その場で両親に泣かれてしまう。
7時30分。開門。
「押さないでー」「走らないでー」の声は聞こえているし、走っちゃいけないのは分かるけど、本当にごめんなさい。ほんの少しだけ走ってます。
正直に言うと府中では転んで血が出たこともある。走って転倒とかいい大人が何やってんだか。
中山のスタンドの扉直前で待っているため、出るとすぐにスタンド。従って距離は短い。しかし、難関は扉を開けたらすぐにある急な階段。
短い直線に急坂。まさに中山競馬場。
入ってからまずは一安心。
場所もだが、空が薄い雲に覆われていた。これで写真も少しはマシだ。このまま行ってくれ!
場所を確保してからは、1日のスケジュール管理が重要となる。
馬券は全てPATで購入。万が一通信が不安定になってしまった時に備え、バックアップにwifiルータも持っていく。最近は必要無いですけどね。お守りみたいなものです。
午前中はとりあえずやることないので馬券。
収支はトントン。こんなもんでしょう。
トイレは午前と午後の休憩時間が最後。昼食はアメリカンドッグのみ。自衛隊の演奏を聴きながらモグモグパクパク。
早めに済ませた後は、ぎりぎりまで水も一切飲まず、生理現象も起きないように細心の注意を払う。そしてずっと立っている。
下手な時間にトイレに行くなどのアクシデントがあると、レースの時にそこに戻って来れない。
僅かな失敗も許されない。なんせ朝3時からレースの瞬間の為にいるのだから。
まるで修行僧のような1日。
少しだけ違うのは、食料がジャンクフードすぎるのと、煩悩が異常に多いということ。
午後に入ると身動きが取りにくくなり、徐々に神経が張ってくる。
他にやることないので、とりあえず競馬観戦。
ダイワスカーレットはどうも仔がパッとしないなーとか、マイティのナナコ騎手のコーナーリングがもう少しだけでもスムーズなら…とか、さすがステイパーシスト!53kgでここなら負けてもらっちゃ困るとか、レッドゲルニカってこんな強かったんだなーとか、レイデオロは抜群に強いけどこのメンバーだとレーティングでG1の基準は無理なんじゃ…とか色々思いながらの観戦が続く。
そして有馬記念。パドックへ出てくる各馬。
そこからは何も言うまい。ただ楽しむだけ。
返し馬でサトノダイヤモンドに声援を送った後、北島三郎氏や、鷲見アナ(?)、田中投手が手を振ってスタンドから登場。みんなそっちを見る事態に。
JRAが作った映像の反応の薄さの切なさ。クリエイター泣かせの瞬間は作る側の気持ちも分かるが故の切なさ。
肝心のレースはとても良かったと思う。
思惑も様々、駆け引きもあって見ごたえ十分。
こういう事をやってるので、ラップタイム、各馬の位置取り、キーとなる馬の動き(今回はサトノノブレスとゴールドアクター)をかなり冷静に見る癖ができてしまったけど、直線思わず「ダイヤ差せ!」と声が。
ゴールドアクターも頑張ったし、期待のヤマカツエース、ミッキークイーンも走ったので、そこも満足。
レースが終わっても、なかなか引かない人の波。
イルミネーションが綺麗になる時間まで待つ人、最終レースまでやる人、パドックで回顧を聴く人?など様々。
せっかくクリスマスにも関わらず来たんだという意地かもしれない。こういうのは有馬記念ならではのような気がする。
それに加えて今年は大きい綿あめを持っている人が目立った。
帰りの西船橋駅までの足取りは長く重い。
船橋法典駅ほどではないですかね。お約束の時間が出て、スタンドから歓声。
これは珍しい事ではないので、覚悟してくださいね。
有馬記念の後、春まで休養する馬もいるが、その気持ちも分かる。過酷なのだ。
それでも現地で見る競馬はやはり違う。朝早くてもあの瞬間は競馬ファンには特別だ。
本馬場入場が終わり、ファンファーレまでの僅かな静寂。
そしてファンファーレと共に一気に上がったボルテージの行き場は、思いや欲望が幾重にも重なった声援となり、競馬場を包んでいく。
彼らの一生を賭けた戦いの目撃者になれる喜びと、馬券が当たることを願いながら。
数多のサラブレッド達の戦いは、有馬記念が終わっても続いていく。
彼らは経済動物であり、全頭生涯を全うできるとは思っていない。
だからこそ、こんなダメ人間としては託したくなり、重ねたくなる思いがある。
観戦の方法なんて全く褒められたものではない。
書いてある通りなので、「競馬場で楽しんでいますか?」と問われると素直に「はい」と言えない。
確かに良い位置で見えている。が、馬券も手に取らない、お酒を飲みながらでもなく、多くは熱くなる事無く冷静な観戦。
スタート、道中の有利不利、ペース、コーナーワーク、直線のコース取り、上位入線の馬たちの通った位置、勝ち時計…。色々と見ていると声出してる暇はないが、それでもね。
数名のグループで来ていて、「全然見えないね~、人多いね~」と言いながら、馬券片手に飲んで食べて、メインレースはファンファーレを思いっきり楽しんで競馬場を満喫する方が正しい遊び方だと思う。私の遊び方(というか仕事に近い見方)で、「楽しんだ」という人は、「その馬が絶対に見たい」という人位なものだろう。
私のこの見方で競馬場デートや競馬場遊びは絶対無理。観戦場所とトイレにしか行かないで、何を楽しめと?
他のG1はまだ自分も動いているからいいものの、有馬記念の時は終わった後も一層複雑な思いが心の中のターフを猛スピードで駆け巡る。
そしてこれで終わりではない。写真整理とブログがある。
有馬記念も終わり日も沈んだ中山競馬場。競馬場に来た人間しか見れないイルミネーションが輝いている。
トナカイだけがクリスマスではない。偶蹄目のトナカイと奇蹄目のウマとは違うけど、まぁ雰囲気は似たようなもんだ。「ツノが…」とかそういう事は言わないで。
鍛え抜かれたウマ達が、人間の「夢」という雑多なものにラッピングされた「欲望」を乗せて走っているのだから、クリスマスを過ごす場所としては間違っていない気もしてきた。
そう納得しよう、もうここまで居るんだし。
一番星がトワイライトの空に輝く冬の中山競馬場ならではの景色。
「今年のクリスマスは、綺麗なイルミネーションを見に行こう♡」の景色ではないが、こういうのも一興。
西船橋駅までの帰路で大変疲れたので、CoCo壱番屋で一休みと夕食。
朝モスバーガー、昼アメリカンドッグ、夜ココイチ。なんというクリスマス!
世間は「ロミオとジュリエット」の景色が目立つ。
私が普段フラフラしている六本木けやき坂通りには、イルミネーションと交わり、クリスマス一色となる週末には、甲子園での「○○のダルビッシュ」が出現するように、今日の別れを惜しむ「○○のロミオとジュリエット」を至る所に見る事ができただろう。
しかし、私はこんな状態。
悩めるハムレットの方がしっくりくる。ハムレット第5幕 第2場にこんなセリフがある。
前兆など気にしていられない。
there’s special providence in the fall of a sparrow.
スズメ一羽落ちるのも天の摂理。
If it be now, ‘tis not to come;
今来るなら、あとからは来ないだろう。
if it be not to come, it will be now;
あとで来ないなら、いま来るだろう。
if it be not now, yet it will come:
いま来なくても、いずれは来るだろう。
the readiness is all.
肝心なのは覚悟だ。
一頭の馬が勝つシーンを見るのが競馬の醍醐味。
いま現地で観戦できるなら、後から観れなくてもいい。
今現地で観戦できなければ、後から観れない。
後から観れなければ、今現地で観戦するだけのこと。
肝心なのは覚悟だ。